浜松佐藤町診療所のご紹介

所長のごあいさつ -水谷 民奈-

 今年浜松佐藤町診療所は開所46年目を迎えました。長きに渡りこの地で医療活動を行うことができたのは地域の方々に支えられてきたからこそです。本当にありがとうございます。
 昨年は、以前から「2025年問題」と言われていたその2025年を迎えました。団塊の世代がすべて後期高齢者の仲間入りをする年と言われており、高齢者医療や介護の課題がますます重要になるだろうと予測されていました。それに対して様々な準備が行われていたのですが、その中でも総合的な力を持つ医師を養成することが喫緊の課題だとも言われてきました。高齢者は多くの疾患を抱え、生活に支障があり、家族や環境の影響も受けやすく、臓器別専門医では対応が難しいことがあります。私たちは、患者さんを中心に生物・心理・社会的背景を統合して考察し、患者さん・ご家族と他の職種とともに医療や生活・暮らしについて相談していくことを大切に取り組んでいます。外来診療だけではなく訪問診療も行っており、2025年は13人の方をご自宅や施設で看取りました。住み慣れた自宅やお部屋で親しい人たちに囲まれながら最期まで生き抜く姿に、いつも生命の尊さを感じずにはいられません。佐藤町診療所では2020年から地元・浜松医科大学の学生実習を受け入れ、若い医学生たちにこのような診療所医療について学んでもらい、将来の地域医療の担い手づくりに協力しています。患者さんからも医学生に「頑張っていいお医者さんになってね」とエールをいただくことが多く、医学生の励みになっています。
 また、高齢者だけではなく様々な世代への対応も行っています。働く世代の生活習慣病、じん肺・振動障害など労働災害の相談、小児の風邪・胃腸炎や健康診断・予防接種も行っておりますので、ご家族皆さまで診療所をご利用いただけます。
 2026年になり、世界では戦争が絶えません。今、私たちが平和に暮らして世界一の長寿を誇っているのは、先の大戦の反省のもとに制定された現憲法や、先人たちが必死の思いで築き上げてきたこの日本の社会や医療のおかげなのですが、歴史は繰り返すと言いますからまた危うい状況に陥りかけているところではないかと心配しています。最近『医の倫理と戦争』という映画が上映されて話題になっています。患者さんの人権を守るという当然のことが、ひとたび戦争が起きれば簡単に吹き飛んでしまう、善良な医療者であっても戦争によってその魂がゆがんでしまうことが731部隊の話で述べられていました。私たち医療者が患者さんのために役立ちたいという素直な気持ち、そして地域の皆さんが安心して医療にかかりたいという願いをかなえるために、医療と戦争は相容れないことを強く訴えて、平和を希求していきたいと思います。
 さて、私自身がんサバイバーですが、おかげさまで元気に仕事を続けています。その節はご心配をおかけしました。がん闘病の体験から、健康な人も・何か不調を抱えている人も・様々な立場の人も、誰一人取り残されることなく、一日一日ほんの少しでも「生きていて良かった」と思えますように願っています。浜松佐藤町診療所は皆さまのお役に立てるように今年も地道に医療活動を続けていきますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 2026年4月1日

 

浜松佐藤町診療所・訪問看護ステーションあすなろ 医療・福祉宣言

浜松市には民医連の前身である無産者診療所がありました。

浜松衛生組合(のちにプロレタリア医療組合に改称)の実費診療所が無産者のいのちと生活をまもるため、4割引の薬価にて診療していました。そして日本無産者医療同盟の方針にしたがって活動するようになりました。

その診療所の名前は「浜松無産者診療所」といいます。

「浜松市民診療所準備会」(会長・田中昇、書記・鈴木勇)が1932(昭和7)年8月に成立、11月頃まで元城町の加藤清医師宅で診療活動を行いました。

医療組合は組合員約300人、健康会の班組織へ発展し、班世話役を選出したり、立て看板の作成、ニュースの発行を行っていました。

 

一端閉鎖された診療所は、「浜松市民診療所」と改称して1933(昭和8)年1月18日に大工町25番地にあった病院の空き家を借りて再開。6~8ヵ月間活動しましたが、1933(昭和8)年の夏、鈴木事務長が逮捕された後閉鎖されました。

入院室も10床あり、いつも満床だったそうです。内科を加藤医師、外科をミネノ医師(本名不詳)が担当、小児科を担当した医師は不明です。それぞれ開業しており、無給で診療所の診療にあたっていたそうです。

診療所が閉鎖され数年後、加藤医師が死亡。鈴木事務長は無産者診療所の再々建が不可能となったため、医療利用組合遠州病院の設立運動に参加していきました。

「浜松市民診療所」を支援した地域の方々には田中昇(のち村長)、木俣スズ子、鈴木清一、山崎光雄、百木照好、岸徹志(歯科医師)、坪井愛二など多くの方がいました。

 

戦後の運動は、1958(昭和33年)年に社団法人共生保健福祉会が住吉町7番地につくられ、保健福祉事業が行われたり、診療所建設のための調査・検討が行われたりしましたが、いずれも中断しました。

 

1971(昭和46)年静岡市に田町診療所が誕生し、秋には静岡勤労者医療協会が結成されました。1973(昭和48)年に勤医協で浜松への民診建設計画が議題となり、1975(昭和50)年勤医協総会で三ヵ年計画を策定されました。

 

1978(昭和53)年4月16日、西部民主診療所建設をすすめる会が結成され、元目町に事務所を置きました。

 

そして「浜松佐藤町診療所」は1980(昭和55)年3月1日、浜松での無産者診療所の伝統と歴史を受け継ぎ、住民の熱い期待を背負いオープンしました。

 

この「医療・福祉宣言」は、浜松佐藤町診療所・浜松佐藤町福祉サービスセンター・訪問看護ステーションあすなろが加盟する全日本民主医療機関連合会(略称:全日本民医連)の「綱領」にもとづいて、どのような医療活動・福祉活動に取り組んでいくのか明らかにした患者さんや友の会のみなさんへのメッセージです。

 

 一.私たちの医療機関は、地域住民によってつくられました。

  だから、安心して住み続けられるまちづくりをすすめます。

 

 一.私たちの医療機関は、労働者・農民・中小業者によってつくられました。

  だから、働くもののいのちと健康を守ります。

 

 一.私たちの医療機関は、患者さんによってつくられました。

  だから、患者さんが主人公の医療をめざします。

 

 一.私たちの医療機関は、患者さんの権利を守る人たちによってつくられました。

  だから、医療・介護の安全性の向上に努めます。

 

 一.私たちの医療機関は、在宅患者さんを抱える家族によってつくられました。

  だから、地域にうってでて、医療・介護・福祉制度を活用し、よりよい在宅医療・福祉サービスの向上をめざします。

 

 一.私たちの医療機関は、平和を願う人々によってつくられました。

  だから、戦争政策に反対し、浜松基地の市民への返還を求めます。

 

 一.私たちの医療機関は、被爆者によってつくられました。

  だから、被爆者の健康管理をすすめるとともに、核兵器の廃絶をめざします

 

浜松佐藤町診療所・浜松佐藤町福祉サービスセンター・訪問看護ステーションあすなろの職員は、これらを実現するため、静岡西部健康友の会や県西部地域のすべての住民と協力して活動していきます。

 

個人情報の取り扱いについて

当院では「個人情報の保護に関する法律」に関して、当院で定めた下記規定に基づき個人情報の保護・提供を行っております。

 

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佐藤町診療所 個人情報保護方針
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浜松佐藤町診療所 個人情報保護規定
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浜松佐藤町診療所・福祉サービスセンターの個人情報保護規定
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